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日本各地の歯科医院に、フィード担当者が直接取材。
成功の秘訣や経営上の苦労話などを「歯科医師から歯科医師へ」という観点でお伝えしていきます。
9回目となる今回は、千葉県船橋市スマイルデンタルクリニックの椎名康雅先生にお話を伺いました。

矯正専門医として矯正と小児に注力しながら地元への還元を重視し「永続する医院」を目指す

開業医だった父の背中を見て育ちました。そこで見た父は、医療に対しても患者さんに対しても極めて真摯で、私からすれば、厳しくて、怖くて、絶対的な存在で、この父を今でも一番尊敬していて、物心ついたころには歯科医師になると決めていました。
大学では矯正を専攻しました。30歳までに開業することを目指し、卒後は大学の矯正科に5年入り、またその途中からは一般歯科に5年勤めました。そして1年間限定で、医院承継の形で東京都内にて開院をしたのち、私が生まれ育った千葉県船橋市内のJR総武本線・東船橋駅付近で、あらためて開業。チェア4台、スタッフは歯科衛生士1人と受付1人でのスタートでした。
開業時はとにかくレセプト300を目指しました。しばらくは医院と家を往復するだけの忙しい日々を過ごしましたが、努力の甲斐あって3年目には経営が安定しました。

開業3年目に診療スタイルの基礎を確立

診療スタイルの基礎が出来上がったのは、開業から3年目のことです。3年目には経営セミナーにも参加し、歯科医師としてどうあるべきかということにしっかりと向き合い、何のために開業したのか、このままでいいのか、5年後・10年後・それ以降にどうしたいのかを深く考えました。
そしてさらなる転機は、2006年に開催されたシンポジウム「定期管理型歯科医院の将来展望−定期管理型歯科医院の作り方−」に参加したことです。ここで「ヘルスプロモーション」という概念に初めて触れて、人生が変わりました。この概念は、私自身でも何となく考えていたことなのですが、その内容がすでに具現化されていることに衝撃を受けました。
「やりたかったのはこれだ!」と思いました。それまでは疾病対応の日々でしたが、このシンポジウムへの参加が大きなターニングポイントとなり、ヘルスプロモーション型歯科医院を目指すことにしました。

予期せぬ(!?)移転で大型医院化

地元での開業から6年後、より駅に近くて広い場所に移転をしました。もともと移転するつもりはなかったのですが、テナントの更新時に不動産業者から「駅前にこんな土地が売りに出ています」と紹介されたのがきっかけでした。金額も高かったため当初は見向きもしませんでしたが、その翌週に参加したセミナーの懇親会で「先週こんな話があったんですよ」という話をしたところ、そこに居合わせた諸先生方が一斉に計算を始めて、そして言われたのが「○○円以下になったら買いなさい。価格交渉をしなさい」でした。
「買いなさい、と言われても…」と初めは驚きましたが、諸先生方が自分に期待してくれているのなら挑戦しようという気持ちが強くなり、地主さんのところに直接交渉に行きました。今後も地元のために尽力していくという気持ちを熱心に伝えたところ、結果として大幅な値引きを受け入れてくれました。
そして現在の地にチェア9台で再開。この頃はちょうど患者さんも増えてスタッフから増床をお願いされていたので、結果として移転するには良いタイミングだったと思っています。

本院移転から2年後に分院を開院

本院を移転してからわずか2年後に、分院を開くことになりました。本院から近くにある駅前の物件で、この機会を見逃したら二度と出会えないような絶好の場所だったため、すぐに分院を出す検討を始めました。この頃、本院には子どもがたくさん来てくれるようになっていて、小児専門の医院を作りたいと思っていました。またこの時期、収益面では飽和状態になっていると感じており、この先どこで成長するかを考えた際に、私の専門分野である矯正に取り組むのがベストと思い、矯正専門の医院も作りたいと考えていました。
この2つの考えをまとめる形で、小児専門医院と矯正専門医院の2つを、2テナントをくっつける形で同時に開院。テナント契約をしてからわずか3カ月でのスピードオープンとなりました。

小児専門医院の開院について

子どもを無理に治療した結果、二度と来なくなってしまい、何のために治療したのか分からなくなってしまう。こんな気持ちを重ねていく中でヘルスプロモーションに出会い、小児用の独自プログラムを作りました。
小児専門医院の開設には、2006年に新人として入った歯科衛生士の影響も大きかったです。新人の彼女に小児を任せたところ、どんどん力を付けて、医院独自のトレーニングプログラムを私と一緒に作るまでに成長しました。そして彼女から小児専門の医院を開きたいと言い始めるようになり、やがて本当に小児専門の分院を開院するに至りました。このとき、院内のインテリアもその衛生士が主体となってデザインしました。
また治療面で当院の小児歯科が評価を得ている大きな理由の一つはラバーダムの装着です。「小児で成功する秘訣は?」と聞かれたら「ラバーダム」と即答します。ラバーダムの使用は安全面でも大事ですし、何より再発が防げますので、必須アイテムです。ラバーダムでの診療と、独自のトレーニングプログラムの双璧が、当院の小児歯科を支えています。

矯正専門医として

私は矯正専門医として、矯正の難しさを理解しています。歯を動かすというのはイージーではないし、全体を見ながら歯列を作っていくのはとても難しい。しかも小児となれば、その子の将来を担うことになります。ですがここに、やりがいを感じています。
矯正は、数ある治療の中で唯一、自分の歯ですべてを完結できます。ある意味、矯正ができればベストであり、また矯正がベースにあれば、もっとイージーになる治療が増え、あらゆる治療をベストな形に導けると思っています。矯正専門医として矯正ができることは、一般治療を行う上でもアドバンテージになっていると思っています。
また小児の矯正は、歯並びを治すというよりも、その子がよりよくスムーズに成長できるための一つのツール・条件でしかないと考えています。矯正は、歯並びをきれいにするというのはもちろんその通りですが、歯並びが悪くなるにはその原因があるわけで、またその原因が不健康につながっていたりしますので、今はその点の改善に着目をしています。歯並びを治しているのではなく、歯並びがよくなる環境を整える。そうすれば歯は自然ときれいに並びます。その子の将来を背負っている、という気概を持って対応しています。
私は週に1~2回、北は東北、南は九州まで、一般のクリニックを矯正で回っています。これは、私の腕を認めてくれている先生に呼んでもらっているからというのはもちろんですが、症例数を持って、さらに腕をみがきたい、そして絶えず勉強し続けたいという意図もあります。また、他の医院に行くことで、一般歯科、システム、組織などを学べるという利点もあります。

まさかの資金ショート~組織を筋肉質に

本院も分院も順調に運営し、小児も矯正も順調で、患者数も売上も大幅に伸びていく中、2015年にはまさかの資金ショートを起こしました。これは、よくよく調べてみると税理士の怠慢から起きたのですが、やはり私のミスでもあります。このときまでガムシャラに突っ走りながら順調に来ていると思っていましたが、気が付けばボーナスを出すのも難しいという事態に陥りました。これには反省し、経営の勉強を重ねました。
この頃から、スタッフにも明確な数値目標を持ってもらうようにしました。数字だけを追うようでは弊害がありますが、やはり数値目標がないと難しい。その一環として、毎月のミーティングでは医院の数字をフルオープンにするなど、数字を意識してもらえるようにしています。
この時期にメンバーの半分以上が辞めて一時的に売上は大きく下がりましたが、結果として組織の贅肉が落ち、筋肉質になりました。この時に残ってくれたメンバーが今ではそれぞれチーフになり、医院を引っ張ってくれています。

歯科衛生士が主役になる環境作り

私は医院の主役を衛生士にしたいと思っています。先生は陰の存在で良いと考えています。経営的な側面から言っても、患者さんを増やすにはリコール数が大事です。また小児歯科ではなおのこと口コミの影響は大きく、この点でも衛生士の活躍が不可欠です。給料や待遇を含めて衛生士を主役にする環境作りに努めています。
衛生士の確保はとても大事で、確保するためには医院のブランディングが重要です。ブランディングができていれば研修にも来てくれるし、就職してくれると思っています。衛生士が就職してくれる医院の要素として挙げられるのは、一患者に対してしっかりと時間を取ってメンテナンスができること、教育環境が整っていること、スキルアップできるシステムがあること、さらに労務環境が整っていて、駅近で、18時までに上がれること。これらが整っていれば長く働いてもらえることにもつながると思います。

若い先生たちへのメッセージ。そしてこれからのこと

私自身いろいろな経験をして、振り返ってみると、技術は大事ですが、技術だけではダメだと思います。技術は後からでも身に付けることができますが、もっと大事なこと、医療人としてどうあるべきか、患者とどのように向き合うべきか、これは後からでは間に合いません。
歯科はいま、人気のない業界と言われています。若い人は、大学での6年間でネガティブキャンペーンを受け、かわいそうな思いをしたのではないでしょうか。その子たちに、私は夢を持ってほしいと思っています。
私が若手歯科医師を対象として立ち上げた「椎名塾」は、医療従事者としてどうあるべきかを話す場であって、若い先生たちとこれからの歯科界を盛り上げていきたいとの思いから開きました。学生を含め、これからの歯科業界を担う若手に夢を持ってほしい、夢を見せたい、良い形で下の世代につなげたいと思っています。いま私は心から楽しく歯科医療に従事しています。この気持ちを次の世代にも伝えていきたいと思っています。
そして私自身、生まれ育った千葉県船橋に恩義があります。やはり地元への還元が大事で、地域密着型医院として、この地でしっかりと良い医療を提供し、この地域の人たちに良い思いをしてほしい。技術だけに頼らず、人と人との関係を大事にし、「永続する医院」を作りたい。今、私の医院に通っている子どもたちが大人になっても、そしてスタッフが入れ代わっても、私が次の代に引き継いでも、患者さんにはいつまでも同じような思いをしてもらえるようにしたい。目標はこれしかありません。
そうそう、私自身の最期の瞬間は、診療中に迎えたいと思っています。根管長測定器がピピーッと鳴ったその瞬間に最期を迎えられたら幸せだと思うんですよね。迷惑ですかね…。でもそれぐらい、歯医者になって良かったと思っています。しんどいですけれど、楽しい毎日です。

椎名 康雅
「椎名塾」塾長
ご家族は3人で、お子さんは中学一年の男の子。毎年10月の終わりから1週間は、ハワイに行って家族で一緒に過ごすと決めている。普段は祝日ぐらいしか休めないけれど、このときだけは家族だけの時間。ルーツは20年前にハワイで結婚式を挙げたとき、奥様に「記念日には毎年ハワイで過ごしたいねと言ってしまったのが原因(笑)」とか。この時期だけはスタッフと患者さんに事情を理解してもらって休みを取る。
お子さんに対して「特に歯医者になってほしいとは思っていないけれど、なりたいと言っているようです。子どもにとって自慢の親でありたいし、魅力的な親でありたいと思います。私の背中を見て育って、その結果として歯科医になってくれたら、それは嬉しいことです」
法人名「統鶴会」は、尊敬する父母の名前から一字ずつ取った名称。「私の名前は医院名にも入れませんでしたが、父母の意思はこの先もずっと引き継がれます」

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