相変わらず、世界の歯科イベントが「Webinar 」対応になってしまっておりますが、直近もブルガリア主催の学会が「オンライン講義」で開催されました。わたしはほぼすべての講演を視聴しましたが、その中で「本当に聞いてよかった。大変に勉強になった!」と心から思えたのがFriedman先生の講演でした。
元々、AAEから「Lifetime Educator Award」を授与されるほどの方ですから、その優れた教え方には定評があります。ですが、今回なによりも感銘をうけたのは、「数多くのエビデンスをそのエビデンス力に基づいて分類・整理し、統計処理を行うことで、バイアスのない結論を導き出す、論理的思考能力のすばらしさ」でした。実際、学会主催者だけでなく、イタリアのカスタルーチー先生やノルウェーのデベリアン先生も同講演を絶賛しておられました。
「エビデンス」として世の中に出ているものは、「専門家の意見」「単なる症例」「統計処理を経たレビュー」など、その証明力・説明力は玉石混交です。科学者として絶対にやってはいけないのは、「統計処理の労を惜しんで、信頼性の低いエビデンスをベースにして雰囲気でものを語る」ことです。
Friedman先生の講演では、根完成歯と根未完成歯への抜髄処理が治療成功率にどのように作用するかというテーマについて、古今東西・新旧の論文に幅広くあたりながら、そこで紹介されている症例にランダム化比較試験を行い、その結果を統合して解析する、システマティックレビューの結果を発表されていました。上記成功率についての結論そのものも大変に興味深かったのですが、膨大な量のエビデンスをシンプルな結論に仕上げていく、「エビデンスまとめ力」に感動するとともに、「科学者としての矜持」に脱帽いたしました。
翻って周囲を見回してみると、某国のコロナ対策はあまりにもお粗末です。もっともエビデンス力のひくい「専門家の意見」とやらが重宝され、さらには一連の施策のバックテストが為されていません。例えば、感染発生率が3%程度である飲食店業界の営業ばかりを規制することに意味があるのか、個人的には甚だ疑問です。
公職についている人は、「自分はなぜ公職に就こうと思ったのか」「究極的には誰を代表しているのか」といった、一種の「ノブレスオブリージュ」的な思考を決して忘れて欲しくないと思います。
人間誰しも自分のことを第一に考えがちですが、「次の選挙での票数」「自分の将来の政治上のポジション」だけを常に考えて、「一連の騒動の着地点」、ひいては「この国の50年後100年後」をまったく考えないようでは、あまりに残念で悲しすぎると思うのです。今は、早く渡航自粛が解け、Friedman先生をはじめとしたキーオピニオンリーダーたちと生で色々なテーマについて意見交換し、自分自身をインスパイヤーしたいなあと思う毎日です。